それは、あまりにも楽しい、素敵な時間でした。
2019年12月30日。もう恒例化している年末のNENCHEワンマン。
今年7回目のワンマンにしてNENCHEチェッカーズスタイルのライブとしては
最後のワンマン。
NENCHEライブ・FINAL!

AKIRA、1997年SIDE-ONE、享さんプロデュースでデビュー。
その後、HARISSを経て現在ソロAKIRA WILSONで活動中。
今までのライブを振り返るべくMCで
『そうそう、俺がね、忘れもしない一番記憶に残ってるライブがあってさー。。。
あれ、いつだったっけ。』
というボケで相変わらずみんなにいじられる僕、ヴォーカル アキラ。

ROCKIN' ICHIRO & BOOGIE WOOGIE SWING BOYSのギターヴォーカルであり
ソロ、浜辺シゲキとして活躍する。
確か、1回目のワンマンからMC担当に任命されて
毎回、落研のような美味い落とし込みMCで曲に入るシゲキ。
そんなシゲキが一度だけMCで同じことを何度もループしたり
歌詞がとんだり、踊りがずれていたライブが2016年大阪であった。
それは当日アキラがハーモニカを忘れてしまったのでライブ前に一人で走り回り
ライブギリギリまで探してくれていた為だったという事がわかった。。本当ごめんなさい。
そんな心優しい愛すべき存在のヴォーカル 浜辺シゲキでした。

カントリーパンクバンド、PRINCE ALBERTのヴォーカルとバンジョー担当。
NENCHEを始めた頃は33才で現在40才になったNENCHE一番の若手ターちゃん。
もうNENCHE始めた頃からライブハウス、リハーサルスタジオを経営していた若社長。
野口くんがやっている群馬コミュニティFMラジオ高崎『no+subject』にNENCHEメンバー全員で
電話ゲストで出演した事もあったよねー。
NENCHEマスコットでありながら見た目が一番コワモテなヴォーカル ターちゃんでした。
勝手にしやがれの初期メンバー。様々な現場でスタジオミュージシャンとして活躍。
2015年より荒井伝太でソロ活動中。
埼玉県コミュニティFMクローバーラジオ『荒井伝太のブギウギレディオ』放送中!!
NENCHEは2年目2013年から参加。
伝太くんが参加してさらにNENCHEの音楽的再現性がチェッカーズに近づきました。
こんなブギウギピアノを弾ける若者を初めて見ました。
伝太くんのピアノは身体全体から音が湧き出てくるので聞いた人は身体が自然に動くのです。
そんなキーボード 荒井 伝太くんでした。

Swinging Popsicleでデビュー。ベース担当。
音楽的にアーティストだけじゃなくプロデュースやエンジニアやコンポーザーもこなす音楽人。
NENCHEにとっても音楽的な部分で頼れるバンマスとして君臨するも、
元々新宿ロフトなどのアンダーグランドシーンで店員していた経験もあり
上下関係の礼節などに厳しいロック魂がたまに爆発する。
いつの日か平田くんの毒舌キャラが爆発して、今では享さんにも毒吐くポイズンキャラとして君臨する。
2017年のライブでヘビメタバンド『POISON』のTシャツを着てきたのだが誰にも気づいて貰えず
自分でMCにて寂しく自己申告していたのが記憶に新しいベース 平田くんでした。
『勝手にしやがれ』『不良メルヘン』『THE BLUEDONUTS』ではトランペット。
THE NENCHE、アブラーズではドラム、その昔、ジャックナイフでも活躍していたカズさん。
もう経歴というか芸歴が長いカズさん。NENCHEではドラムだけど管楽器をずっとやっているので
ムーンライトレビュー50'Sとか神様お願いなどのアカペラ練習ではコーラスの積みにも長けていて、
ここのパートはこのメロディーラインを誰々がやればいいのでは、
というアドバイスもたくさん頂いてました。
やはり頼れる兄貴な存在のドラムス カズさんでした。
佐田くんはSunJAMというバンドでSAXをやっていて、
ニートビーツや近藤智洋&ザ・バンディッツ・リベレーションにも参加している。
NENCHEも御用達の三軒茶屋でCOMETOGETHERというライブバーの店長です。
佐田くんは同じ北海道出身。とにかくチェッカーズの曲決めになると熱いのです。
そして佐田くんと言えば2016、2017での忘年会での演歌を歌う佐田オンステージが
インパクトありました。あの忘年会は佐田のためにあった。と享さんに言わしめました。
そんなSAX 佐田くんでした。
そして顧問。武内享さん。
もうこのNENCHEを始められたのはまず、このチェッカーズの曲をやる事、それに享さんが参加する事。
それを享さんが受け入れてくれたことから始まる。
享さんが最後のMCで言ってました。
『チェが解散してから自分はチェッカーズから距離を置いていた。
チェッカーズとの距離をもう一度縮めてくれたのはNENCHEだ』
NENCHEがあったから、またフミヤともやる事が出来た』と。
僕らにとってはもうこれ以上ない嬉しい言葉でした。
本当にそれを聞けただけでもやり続けて良かったなと思いました。
そして同時に僕らは享さんから沢山の事を学びました。
昔、ブログでも書いた『学び舎』です。
なんか7年生にして『学び舎』卒業、という気持ちです。
享さん、顧問をやって頂き本当にありがとうございました。
DJ COBRAさんはSIDE-ONEインディーズの時のプロデューサー。
享さんがメジャーの時のプロデューサー。
享さんはチェッカーズ全盛期の頃、
ツバキハウスというクラブに遊びに行ってました。
その中のロカビリーナイトというイベントでDJをしていたのがCOBRAさんでした。
その時から享さんとCOBRAさんは知り合いでした。
時は少し流れ享さんとは疎遠になっていたCOBRAさんの元に
北海道から上京したばかりのSIDE-ONEがロカビリーナイトのハウスバンドになりました。
評判が評判を呼び1997年メジャーデビュー、享さんがプロデューサーになった事で
またお付き合いが再開し2000年あたりから享さん、COBRAさん二人でイベントを始めたりしています。
それが今のバー武などに繋がっているのです。
2019/12/30NENCHEライブ・FINAL!写真館2に続く!!!